2012/02/10

純粋な二次創作


※映画『46億年の恋』の二次創作小説です。









“被害者の背景は?”





トタンの壁を這う朝顔の蔦。
しかしそこには花はついてない。
そこにあるのは落下する萎びた花弁のような家、商店、そして人間だった。
そんなおおよそ今の世の中で考えられる最低の場所で香月は育った。
そんな場所で育っても、まともに育った人間もいるのだからお前もまっとうに生きろとは言い難いまでに総てがみすぼらしく貧しい。
その土地にまるで隠れるようにひっそり暮らす人間達は生気なんてものは持っていない。
持つことは許されまじことなのだ。




“あぁ、覚えてるよ。
あの子は可笑しいよ。
というより親が何も言わねえんだ。
何度捕まえて親に言っても駄目、警察に突き出しても無駄。
そんな子供だったよ。
毎回ジャムパンを店先から盗んでくんだ。
そう、ジャムパンばっかり。
他のもんには目もくれなかったんだよなぁ。”



“あいつはまじで最低な男だった。
急に○○○―――。
で×××が△△△の○○になって。
中二の時です。”




“殺してやりたかったですよ、そりゃ。
この辺であいつのことを知ってる奴はみんなそう思ってる筈です。
―――え、殺されたんですか?”






誰にも気を許さない子供だった。
周りの人からも、親でさえそう思っていた。
だけどそれは違う。
心を許せるような人間が一人も、たったの一人もいなかったのだ。
食事を与えられないことをつらいと思ったことがなかったのは、それが彼にとって当たり前過ぎたから。
握りしめたいつも同じ味のジャムパンだけが頼りだった。
旨いとか、不味いとかの問題ではない。
それを食べることが彼の必然なのだ。
さびれた街の砂利道。
誰もいない公園。
ただ下へと飲み込む河川敷だけが彼のもので、同時に彼の檻だったのかもしれない。
今となっては何故この両親や、この性犯罪者自身が此処まで彼を追い込んだのかは誰も知らないし、知ることさえできなくなった。
けれど暴かれないことが唯一香月の人生の救いなのだろう。



良い思い出などなくても彼は生まれ育った街を離れることはなく、幼少期の面影を残さないまでに変容した街に留まった。
今では都会のベッドタウンと呼ばれるそこには沢山の人間がいて、幸せな家庭を築いている。
その様子が彼にはどう映っていたのだろう。
微笑み合う親子をどんな目で見詰めたのだろう。
誰かが誰かの為に仕事をし、社会を動かす。
そんなシステムが完璧に整えられてしまった彼の世界は彼にとって心地良いものであった筈がない。
なによりそれが総ての始まりだった。






唯一とってある窓から有吉が外を見ていると香月が声をかける。

「見に行くか?」






ぐるぐると上まで続く螺旋階段。
そこには上に対する期待と、下への絶望が入り混じる。
彼らはもうその渦に飲み込まれ始めていたのかもしれない。
渦に巻きこまれながら上へ上へと足を進める。
先を行く香月にただついていく有吉には漠然と今と違う世界へ行くような、そんな高揚感があった。
大きく見えるが細いその背中を只管見詰める。



「どっちに行きたい?天国か、宇宙か」
「天国、なんてもんがあるなら宇宙」



開けたそこにあったのは、以前見たあのピラミッドだった。
けれど二人は格段驚くこともなく、こうやって話をし始めた。
何処までも広がる地平に自由を感じるのは傍観者の私達だけである。
そこにいる二人には目の前の人間と、その人間が生み出す言葉しか意味がない。




「なんで?」
「そっちの方が人少なそうだから」
「宇宙人いるかも」
「いねぇよ」
「じゃあ天国は信じてるの?」
「お前がどっちって言うから答えたんじゃねぇか」
「あると思う?死んだ後」
「しらねぇ」
「どう思う?」
「俺がどう思おうが、ありゃあるし、なきゃねぇ」
「なんで…なんで人が少ないのがいいの?」
「鬱陶しい」
「なら、なんでヤルの?」



そう微かな声で訊ねた有吉の声は上ずっていた。



「しねぇとイライラするから」
「僕じゃ駄目なのかな?そんだけのことなら。僕は君みたいになりたい」
「やめとけ」
「なんで?」
「こんなんなったら取り返しつかねぇぞ」
「なんで?」



「狂う」



それまで俯いていた顔をあげ香月を見上げれば、今までになく弱々しい表情の彼がいた。
どうして?
僕の言葉なんかにそんなに突き動かされているのか。
どうして?
僕のことを気にかけてくれるのか。
なら、なんで僕ではいけないのか。



「なんで時々僕を守ってくれるの?」



鮮やかに舞う様に人を殴る彼は、何かを必死に守るように、とは言いながら自分自身を守るように戦っていた。
それが彼の暴力の理由なのだと有吉は思っていた。


ただ見詰める彼の視線が柔らかい。
そのことが不思議で仕方がないまでに。




「お前はどっちに行きたい?お前が聞いたんだろ」
「宇宙かな」
「本当はどっちに行きたい?」
「天国かな」
「だからじゃねぇかな」
「何が?」
「狂わせたら悪いとか思っちまう」
「もう狂ってるよ、多分」



根拠もなくそう答えた。答えてみたものの、やはり理由が見つからない。
そのことに香月も気づいている。
だからそんな風に微笑んで笑いかけるんだ。




「俺はあっち(宇宙)に行くよ。お前は向こう(天国)に行けよ」



ほらまたそうやって。



「僕も一緒に行っちゃ駄目かな」
「どっちへ?」
「......」



どちらとも選べない人間にあるのはただ虚しい死のみだ。
どうせ均等に待ち受ける未来ならお前自身で選べよと伝える不器用な言葉が今もこんなにも僕の心に突き刺さってはじくじくと血を滴らせているのです。
ねぇ、貴方はそれを知っていますか?





幾度目の聴取室ではオイルライターの匂いと煙草の煙が充満し、その開閉音が規則的に響いている。



「お前がやったんじゃないってことはもう分かってる」
「僕がやりました。…だけど僕がやったんじゃないとすれば、虹が、三重の」
「何?」








雨。
強くなる程に人の心を曇らせる。
普段大人しいものもその瞬間に牙をむく。



「香月!所長がお呼びだ」
「いや、今日は」
「仕事はいい。早く行け」



僅かに怯えた様子の香月が連れて行かれる背中を目で追うことしか出来ない有吉は何も考えなかった。
考える必要などなかったのだから。
でもただ寂しい背中を見ていないではいられなかった。
そして雨が強くなる。
意味のない労働が始まり、続き、いつかの終わりを待つ。
そうしていると、また黒い影が同僚を攫い有吉は再びひとりになる。
彼には同僚の苦悩は分からないし、知りたくもない。
少し前と同じく、ただ寂しい背中を見詰めることしか出来ない。
思考を宇宙へと飛ばしていく。
広く深い宇宙には何故か穏やかさがあった。
誰からも与えられることのない安らぎがあった。



長かった雨は大地を潤す。
けれどそれは豊かに広がる大地の上での話で、コンクリートの続く此処では気休めにもならない。
ひとりで螺旋階段を上り、ピラミッドを奥から順々に見ていけば、そこには一つとして同じモノがないことを知る。
でもそれだけ。
目で分かることは人間にとってあまりにも少ない。
そこにある歴史や意味さえわからない。
そんな時ふと聞こえた足音は香月だった。



「なんの話だった?」
「亡霊の…」



香月に豪雨に記憶が思い返される。



「昨晩、妻がやって来てね、君のことを心配していた。妻は君にすまなかったと思っているんだ。自分が自殺してしまって、君が心を痛めてはいないだろうか、飛び降りるくらいなら君の元に行ってもうなんでもないと言ってあげればよかったと。それで、私の元に」


そう言いながら愛おしそうに我が妻を思い出す所長は幸せそうで、そしてそこには死んだという女が確かに寄り添っていた。


「代わりに伝えて欲しいそうだ。気に病むな、総て忘れて前向きに出直しなさいと」


恐ろしかった。
所長から伝わる狂気もそこに寄り添う女の意識も。
総てが恐ろしかった。
そして理解した。
俺は生きるべき人間ではないのだと。
気づくのが遅かったかもしれない。
でも気付いて良かったとさえ思った。
望まれない人間などいないと生きることに何の疑問も抱かなかったのはすべて自分の怠惰なのだ。
この感情を知ることを恐れて怠った。
俺は生きていてはいけない。
女を自殺させたことが始まりな筈がない。
これはいたって純粋な終わりなのだ。
最後に見た所長の笑顔は確かに呪いそのものだった。





「なんの話だった?」
「亡霊の…」



そう言って押し黙ってしまった香月を暫く見ていた有吉が何かに気づく。



「虹?ニ重、三重?」



激しい雨の後空に広がったのは約束の徴。
虹は我が身を亡ぼさないことを約束する証。
救われない運命にいようとも、天はいつでも彼を亡ぼさないと約束する。
その大きな愛で包みこもうとする。
でも香月にはその約束が重すぎて、その愛が大きすぎて苦しかった。
もう生に縋るのはやめようとすると与えられる約束など、愛など、自らにふさわしくないからこそ息ができなくなる程の絶望をもたらす。
香月は嗚咽を止められない。
そして再び子供のような浅はかさを露呈する。




「違う、のかな。僕は君みたいになりたいんじゃないのかな」



その幼さを見た有吉は香月に近付き、頬を撫で抱き寄せた。



「やめろ、やめろ...ぅぐっ…ひっく…やめろ!」



温かく抱きしめられた腕を振りほどくのはプライドの所為か、それとも他の何かの所為か。
叩きつけられた体が痛むことより、彼の何にもなれなかったという事実が有吉に刺さった。





これが事件の三日前、香月と有吉二人の最後の記憶である。

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