2012/05/30

夢に対する考察①





「最近、夢に出てこなくなったんです」
「何がですか?」
「怪物です」
「怪物?」
「はい」
「悪魔などではなく怪物ですか?」
「はい。形は人間なんです。とても綺麗な人で」
「では何故それが怪物と分かったのですか?」
「その怪物は言葉を話すんです。そしてとても頭がいい。僕の中の暗いところを抉るんです、言葉で。絶対に触れてはこない。やめてくれと言ってもずっと語りかけてくる。僕のどこが可笑しくて、どこが狂っているかを。そして言うんです。“早く目を覚ませ”って」
「それは起きろということですか?」
「僕も何度も怪物に会っていたから、それが夢だと理解するようになっていて“僕だって目を覚ましたい”って言ったら“そうじゃない。気づけ”って」
「何をでしょう?」
「分かりません。その言葉の続きを聞く前に彼はいなくなってしまいました」
「何かがあったのですか?」
「...何も思い当たりません。ただ僕は見捨てられたのだと思いました」
「怪物に?」
「はい、そうです。彼は僕に何かを伝えようとしていました。それなのに僕は気がつけなかった」
「それは良いことだったのでは?」
「だったら何で...」
「何で?」
「僕はこんなにも彼に会いたいと思って、わざわざ精神科医を訪ねているのでしょうか?」
「怪物にまた会いたい?」
「はい。彼はとても美しくて、完璧で、彼の毒のある言葉総てが真実でした。毎晩、彼の言葉を聞いて安心していたのです。心から満たされていました」
「しかし、そもそも夢というのは浅い眠りの時に見るものです。決して充実などではない」
「分かっています。頭では分かっているんです。でも会いたい」
「では、本当のことを言っていただけませんか?」
「本当のこと?」
「そうです。いつまでもそうやって真実を隠したままでは私は答えを導き出すことはできません」
「嘘なのでしょうか?僕は夢で怪物に会っていないのでしょうか?」
「思い出して下さい。貴方の真実を」
「でも、僕は、彼を知っているんです。彼はいつで僕を馬鹿にして、冷たい言葉を浴びせかけた」
「それはきっと、ずっと貴方の近くにいて今はいない大切な」
「大切なんかじゃない。ずっと嫌いだった、本当に嫌いだった」
「嫌いだと憎むことは想うことに似ています」
「彼が夢に出てきた所為で、総てを食べられてしまった。僕の幸せな夢を、総て」
「...」
「でも、幸せでなくても、彼に会えるならどうでもよかった。目を覚ませと迫られても怖くはなかった。それが彼から想われている証拠のような気がしていたから」
「しかし、それは、」
「僕の夢です。結局全部が僕の夢の中。本当は想われてもいなければ、何の証拠にもならない」
「そこまで理解している貴方なら理由も分かる筈だ。夢に怪物が現れなくなった理由」
「夢に彼を蘇らせても、彼はいつも言うんです。“早く目を覚ませ。これはお前に都合のいい幻だ”って。僕はその時だけでも彼を自分のものにしたかった。なのに、正直な彼はそれすら許さなかった」
「だから、貴方自身で消したんですね」
「はい、そうです。僕には夢すら上手くいかない」
「ならば、貴方はどうしたいんです?」
「会いたい。彼に今すぐ会いたい。会って夢の中の怪物の話をして、僕の浅はかさを笑ってほしい」
「それが答えです」
「はい」
「今日もきっと夢を観るでしょう。もしかしたら彼が現れるかもしれない。でもそれは怪物などではなくその人自身です」
「悪夢ですね。会えるのに触れられない」
「それは貴方次第です。その時に一人でいるのか、隣に誰かがいるのか」
「会いたいです」
「はい」




2012/05/25

cut in piece



深い眠気に体を任せストンと沈んでいったのは空が白み始めた頃。上体を開いて上を見つめた時に目に入ったのは白い空に浮かぶ月だった。それから暫くして身体の表面が冷えているのに気づいて目を覚ますと誰かの手が身体を這っている。

「ん、どうしたの?」
「起こしていましましたよね、すいません」
「別にいいけど、寝ないと明日持たないよ」
「なんか眠れなくて」

昨晩は久しく触れていなかったということもあって少し無理をさせてしまったかと思う程に求めたのに、やはり若いんだななんて思っては笑ってしまう。

「なんですか?」
「なんでもないよ。で、何してるの?」

そう聞いたのはその人の手にボールペンが握られ、熱心に脚の付け根辺りをその手が触れていたから。気にならない筈がなかった。覚醒し始めた頭でその目で状況を確認すると自らの左右の手首には何やら黒く模様が描かれている。

「切り取り線を描いているんです」
「切り取り線?」

そう聞き返すのと同時にもう一度自分の左手首に目をやれば黒い模様だと思っていたものは黒い点線とCUT HEREの文字だった。右手を見ても同じこと。ぐるりと点線が一周している。それが両手首、腕の付け根、腰、そして今は脚の付け根ということらしい。

「首にも描いてありますよ。全然気がつかないから」
「何で?」
「理由?」
「じゃあ動機」
「......あなたを自分のものにするにはどうしたらいいか考えたんです。剥製にしたり、ホルマリンに漬けたり色々考えたんですけど、やっぱり大きかったら運べないなって。だからまず切らなきゃって」
「どうせなら綺麗に保存してよ」
「そう思ったんですけど、誰かに見つかったら手に入らないかもしれないから」
「そう」
「はい」
「でも、まだ俺は生きてたいよ」
「そうですよね」

その人はそう肯定しながらも点線を打つのをやめない。次第にくすぐったくなってきて脚元の頭を、その髪を掴み上に引き上げた。柔く掴んでいてもこれが自分のものでないとこんなふうに粗暴には扱えない。それだけで分かってくれればいいのに。

「もう充分でしょ?」
「でも、でも」
「でも?」
「証拠がない」
「そうだね」
「だから」
「いいよ」
「うん」

いくら言葉を合わせても、伝わらないから総てを肯定してあげたいのだけれど、それでもその人に触れる媒介であるこの身体は大切で。その我儘を読み取る人は証拠を与えられないことが手に入らない証拠だと信じている。そうだけれど、そうじゃないのに。こんな時に出て来るのはやっぱり拙い言葉だけ。

「お風呂入ろうか」
「お風呂?」
「温まればゆっくり眠れるよ」
「...はい」
「そしたらさ、ちゃんとこの切り取り線消してね」
「......はい」

再び抱きしめるとその人はすっぽりの腕の中に収まって彼の胸に顔を埋める。想像よりも小さいその存在を強く感じ、彼はそのまま引き寄せたその人の額にキスを落とした。


rest in peace briefly