2013/07/29

Cleansing Cream






白を見ていると無性に塗り潰したくなる。僕の心は黒いのだろうか。

部屋に入ると振動に気がついた君が歩いて来た。それを僕は抱きしめはしない。何故なら今日はもう少しだけ必要とされる人間でいたいから。だから、テーブルやソファ、ローテーブルに体をぶつけながら手探りでやってくる君を僕はするりとかわしながら見詰める。まるで、暗闇の中でピアノの音だけを聞きながら踊っているみたいだ。けれど実際は、蛍光灯は煌々と明かりを放っているし、TVだって付けられていた。僕が、付けたまま部屋を出たから。なのに、君は気がづかない。気が付きもせずに、ひとり闇の中で踊っている。

君が探している人を僕は知っている。明るく笑って、煩いくらいに他の人を愛する人。そうして、この踊り子を一番愛した人。僕は彼を知っている。彼がどうなったかを知っている。だから、この部屋に簡単に侵入して、今日も君が舞い続ける様子を見ることが出来る。僕は、とても狡い人間だ。

「あっあ」

元々は全部の感覚がちゃんと備わって、自由に世界と通じ合えていたというから「なにか」発することは出来るのかもしれない。でも、無口な性格なのか一度も言葉を聞いたことはない。もしかしたら、これは君と彼の間でだけ交わされる言語なのか。そうだと思ったら、咄嗟にカウンターにあったカップを握って床に叩きつけていた。それをきっかけにして、君がこちらに足を擦って来るから踏みつけられた欠片が君の裸足の足を傷つける。全部、僕が悪いのだ。しても仕方がない嫉妬をして、カップを無駄にして、君を傷つけた。それでも、君から逃げ続けるのは、欺瞞で優しさだ。触れてしまえば感覚を尖らせた君に総て明らかになってしまう。一方で、そうならないまま探し続ける間は君にとっても幸せだろう。だって、本当ならば、そんな追いかけっこさえ出来ない筈なのだから。

血が床に塗り広げられる。赤く、なっていく。そうじゃない。そうなって欲しいなんて望んではいなかった。僕は白い君に黒くなって欲しかった。黒く塗り潰して、息が出来なくなるまで。そうすれば気がつくかもしれない。この世界にはもう、君を救ってくれる人はいないのだと。彼はもう、いないのだと。

痛みに耐えながら、それでも居ない影を追い続ける君は愚かだと思った。否、それよりも影以下になり下がって見詰めることしかしない僕は何なのだろう。やっとのことで存在だけで浴室まで連れてくると僕は息を大きく一つ吸い込んだ。少し捻ると水が降り注がれる。雨のような空気の振動を感じただろうか。微かに身を引いたのを僕は見逃さない。強く腕を引いて、水に当てると君は呻いた。それはまた、僕には分からない言語。彼と君のふたりだけの言葉。虫唾が走る。ここには彼はいない。僕が居る。僕が彼の代わりなのではない。僕が彼をこの場所から引き擦り降ろしたのだから。

君の手を取って顔に触れさせて、僕を覚えさせる。そんなことが出来ない。それでも君は彼を探してずぶ濡れになりながら僕の腕をすり抜けよう体を捩るし、またあの言葉を発する。僕には何も分からないんだよ。君のことをこんなにも考えているのに何も分からないんだ。水が君に執着する僕の気持ちをますます綺麗に洗い流している。僕と同じ、黒に染めたいのに君はどんどん白くなっていく。その瞬間、君の体を押すと待ち受けていたような浴槽が、そしてその中の水が君を包んだ。また、暗闇の中で踊るように腕を彷徨わせる。思わず手を差し伸べるとそれさえ跳ね除ける。

「どうして、どうして分からないんだ」

声を張り上げたところで、君には伝わらない。どんな顔で訴えても君には伝わらない。いっそ、浴槽に沈めて酸素を求めるように僕に縋りつけばいい。なのに、それさえ君はしようとしない。ただ、ここには居ない人だけ探して助けを求める。

一気に気が抜けて、浴室にへたり込んだ僕の前には浴槽と肺に水が入ってもなお、僕を見ようとしない君が居る。こんなに、こんなに、

「       」

はっきりと聞こえた僕にも分かる言葉。一番聞きたくなかったその名前。





僕の心はこんなにも黒くなっていくのに、君は白いまま。
この世界に彼は居ないのに、君の心の中には彼が居る。




END


BGM : Brown Eyed Girls-Cleansing Cream 


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