2011/06/19

彼は私の匂いがした。
私はそれが心地よくて彼から離れることができなかった。

「匂い」

古い町屋が残る川沿いの道にその古着屋はあった。
何の気なしに初めてその店に入った時、埃くさくて息が出来なかったことだけ覚えている。
彼はカウンターから私に声をかけ、声をかけられた私は彼の前に置いてあった時計に目がいった。
14:36。
古着の他にアンティーク小物が取り揃えてある店内は薄暗く、オレンジ色のランプで照らされているのみ。
敷地は全く広くないのに迷路に迷い込んだ気がした。
全ての始まりは何の変哲もなく、だらだらとスタートする。
私はそれから毎日その店に通った。
彼と私が近づくのに時間はかからなかった。
彼はお店の二階の倉庫兼事務所に寝泊まりしていて、そこは埃と煙草の匂いがして、
キスもセックスも全てそこでした。
そこでの怠惰で生ぬるい情事は私の感覚をとことん鈍らせた。
彼はいつも私の背中にキスをしてから眠りに就く。
背中に感じる彼の寝息が私の鼓動となる。
二つが溶けて混じり合い一つの生き物になる。
彼は私の匂いがした。
彼が私に語りかけることは何もない。
ただキスしてセックスするだけ。
一つになって息をするだけ。

いつものようにお店に行くと、そこには服も小物も家具も彼もなかった。
倉庫にはたった一つベッドが置かれていた。
彼は奥さんと子供とどこかに行ってしまった様子で、部屋はひっそりと寝息を立てる。
私はまだ埃と煙草の匂いがする部屋のベッドに横たわり掛けてある時計を見る。
14:36。
何も始ってはいなかった。
虚構と喪失の世界。
そこで静かに息を止めてみる。
私と同じ匂いがした。

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