2012/11/30
dead leaves
音が聴こえない。誰も居ない訳ではないのに、呼吸の音さえ聴こえない。体温を感じているのに音だけが聴こえない。
「どうしたの」
肺を汚されるように立ちこめる煙は何故今になって気になるのだろう。自分がそう望んだんじゃないか。そうしたいと思ってたんじゃないか。ここでこうしていることも。掌を白く汚すことも。総て。
一度めちゃくちゃになってしまってから、時折思い浮かべる。どうしてこんなことになってしまったのか。厳しく突き落とされるのにも慣れた筈なのに。あの時に気がついた現実は今も変わらない。苦しいのは敵が多いからじゃなく、俺に味方が居なかったから。一人の方が楽だった。
「近くにいるのに見えない時もあるんだ」
一人で居たほうが楽だったのに、いつの間にかこんな場所にいて、味方と言うには非力な人間はいつも隣に居る。急速に冷えた体を近づけて、少しでも感覚を尖らせる。また、何も聴こえなくなる。
「聴こえない」
「何が?」
「何も」
すると、急に相手が馬乗りになって俺に何か伝えようとする。聴こえない、見えないと投げ出してしまった俺に。
「ちゃんと見て、僕はここに居る。誰もお前を見てなくたって、僕がお前を見ている」
泣いていた。それまで溢れだす様子すらなかったのに。歪んだ世界の中にあいつが居て、あいつの声が聴こえていた。
2012/11/11
夢
夢を見た。こんな夢。
こんな夢。
「私は正義の結社に所属し、その中に入り込んだ悪と仲間の多くの犠牲を払いながら戦い、最後にはその仲間の亡骸を海岸際に近い砂浜に埋めたが、波の所為で上にかけられた砂が流され、形容することも困難な死体が顕になっているのを俯瞰映像で『この惨劇は忘れません』とナレーションが入っていた。」
こんな夢。
「私は正義の結社に所属し、その中に入り込んだ悪と仲間の多くの犠牲を払いながら戦い、最後にはその仲間の亡骸を海岸際に近い砂浜に埋めたが、波の所為で上にかけられた砂が流され、形容することも困難な死体が顕になっているのを俯瞰映像で『この惨劇は忘れません』とナレーションが入っていた。」
だるみ 11月9日
夢診断なるものをしたことはないし、これからもすることはないけれど、陰鬱な夢を見た時に読みたくなる本がある。
安部公房の『笑う月』
安部公房が見た夢も、また安部公房だった。
2012/11/05
ショックメンタリーについて
今日、11/04(日)に渋谷アップリンクに釣崎清隆さんの映画『ウェイストランド』を観てきました。釣崎さんはメキシコやコロンビアなどの南米やシリアなどの中東で写真や映像を撮っている方で、今回見た『ウェイストランド』の他に過去作品『ジャンクフィルム』『死化粧いう師オロスコ』という過激な描写を特徴とするドキュメンタリー、ショックメンタリーの日本の第一人者です。と私は思っています。他に作っている人もいないですし。
今日は私の都合で『ウェイストランド』しか観られなかったのですが正直な感想としては気分が悪くなりました。個人的に5:30起きで18:00まで働いた疲れた体で観に行ったことにも理由はありますが、ナレーションが一切ないBGMの爆音ノイズでやられました。退屈というより窮屈です。釣崎さん自身、「現状をありのまま見せる」という信条のもとに作品を作られていて、それから外れた内容でない一方で投げやりな「ドヤ感」も感じました。メキシコ、日本、シリアが第三極という風に思われるのならそれは何故かというところが全て観客に任されていて、時間だけ映画の体をとっている雰囲気もあります。
釣崎監督のお話を聞いていて思ったのですが、やりたいこととやっていることの間が埋まらず、だから映画と写真を撮り続けている、そんな感じです。AVビデオの監督からキャリアをスタートして、その世界とスナッフ映画というかジャンク映画が繋がっているということ、そして今やそれらの映画が「ヤラセ」と一括りにされてしまうことで映画界から排除されてきたという話は興味深く、そもそもどれだけドキュメンタリーを装っても結局は全てフィクションな映画というものの中でそういう理由でショックメンタリーなどが人の目に触れる機会が減ってしまうことは恐ろしいことです。
『死化粧師オロスコ』は「オロスコ自身が死んだ時には死化粧をされなかった」という逸話を聞いて見たくて仕方がないのに、ずっと見る機会がないので、今後も続くらしいこのアップリンクでの上映を楽しみにしています。そしていつか日本国内でショックメンタリーというジャンルが見直され、日本のショックメンタリー作品が作られることを楽しみにしています。
ショックメンタリーといえば...『世界残酷物語』
『死化粧師オロスコ』
『ジャンクフィルム』
2012/10/18
Tumblr
このブログを読んでいただいている方は何故だかやっている人か多そうですね。
かくいう私も5つ程サイトを持っています。
まずは、BIGBANG専用のNothing Better
※BIGBANG's pics only
二つ目はモデルさんとかアイドルが多いNothing Gold Can Stay
※men's pics only
取り敢えず貼りたいものを貼る、SPACE TRIP
欲しいものを放り込む、wanna
最後にたまに逃げ込む、GOMI
※エログロ注意
ここ最近は、上位に上げたサイトですが最後のが一番古くて一番お気に入り。
粗悪で痛いのが好きだからです。
Last.fmとかInstagramとかいろいろやってるんですが
一番使いこなしてるのはTumblrですね。
Fancyも始めたのに買わないから結局うーんな感じ。
皆さん、どんなものを使ってるんですかね?
ブログと言えばアメブロだったのに今はDECOLOGになっているという事実。
前略プロフィールとかもうないんでしょうか。
待ち受けはアニメキャラクターにそれっぽい友情のポエム、
aiko、浜崎あゆみの歌の歌詞を手書きで書いた画像とか。
もうそんなものも知らない人が多いんでしょうか。
というか、どんどんアメリカナイズされていっているなと感じる22時。
2012/10/03
2012/09/22
父親のこと
前もって言っておきたいのだけれど、父親は存命である。
今から私がここに書くことは無口な父親に代わって母親が話していことと、私の周りの人から聞いたこと、そして私がこうあってほしいという願望が含まれた内容だと思ってほしい。
私の父親は群馬県の山の中で育った。
生まれつき心臓が弱くて、外で駆け回って遊ぶことが出来なかった彼は勉強に没頭した。本もよく読んでいたという。そんな彼も、高校は工業高校を選んだのだけれど、決してそれを望んだのではないと思う。ただ、時代が時代なだけに、男子は工業系、女子は商業系に入ることが当たり前だったから。大学進学なんて誰も考えていなかった。そうして、卒業した彼は地元の工場に就職し、ベルトコンベアーに流れる部品のチェックをひたすらしていた。毎日毎日、流れが変化する訳もないそれをずっと眺めていた。そこで、母親と出会ったらしい。馴れ初めなんて知らないし、聞きたくもないけれど、職場恋愛しかなかったんだということは想像に難くない。そうでもしていなくてはやってられないくらいの何かがあの田舎にはあると思う。
けれど、いつしか父親はフランス料理屋で働くことを決め、工場を辞めていた。なにがどうなってこうなったか聞いたことはないけれど、その街に唯一あったそのフランス料理店が彼の何かをつかんだのだろう。以前から料理をするのが好きだったのかもしれない。とにかく、彼はそこで働き始めた。そのうちに母親もそこでウェイトレスとして働くことになった。ここら辺が今の夫婦関係を見ていると想像もつかないところである。でも、そうなった。そうして数年そこで働きながら、勉強を重ね、彼はフランスに行くことを決めた。おそらく、最初の転職も、この料理修業のことも、母にすら相談していなかったのだろうと思っている。何故なら、私だったらそうするからだ。そんなこんなで彼は行ってしまった。
典型的アジア人顔、日本人というより寧ろタイ人である彼はフランスでどんな生活をしていたのか。私は知らない。絶対に聞かない。聞いてしまったら恥ずかしくてどうしようもない。とにかく、そこでパンをカフェオレに浸しながら食べる癖がついたのだと思う。私も子供のころはパンはそうして食べるものだと思っていた。今でもアジア人男性が受けないと聞くヨーロッパで、彼がモテた筈もなく背も低いので尚更大変だったのではないか。でも、そんなことを気にする人ではないとも思う。まぁ、母親がいたしそこで羽を伸ばされても困るのだけれど。そうして(私にとって)暗黒のフランス生活に突如母親が加わった。どうも会いたかったらしい。愛おしい。とは言っても帰る直前だったようで母にとってはただの旅行だった。
帰国して、街の商店街外れの地下室のようなところにお店を構えた。私の記憶もそこから始まる。かなり狭い店内で、厨房も殆ど歩くスペースしかないようなところに私はフットマットを敷いて、踏み台を机代わりに絵を描いたり、働く父親と母親を見ていた。そのうちに、その地下室から抜け出して今は東京スカイツリーの横を通る路線の続く駅近くに店を作った。店が一階、住居スペースが二階、そんな一戸建て。今もそこに居る。
父親が生まれた時から心臓が悪いというのは前述した通りだが、手術をして今は問題ない。ただその時の麻酔の所為で耳がよく聞こえなくなった。父親の心臓は一度停止させられて、再び動き出した。その痕は肉が抉れたようになっていて、なぞると指先から痛みが伝わってくるんじゃないかと思う。そして、一度トイレの中で倒れたこともある。脳梗塞だった。薬を飲むだけの治療だったけれど、ブロッコリーと納豆が食べられなくなる生活は可哀想だった。もうひとつ、大腸ガンにもなった。よくもまぁこんなにいろいろ襲いかかってくるものだと思うのだけれど、今も生きているから別にいい。死ななければいい。
正直、私は父親が羨ましい。
きっと何一つ後悔しないように生きている。自分の人生を本当に自分のものにしている。それが羨ましい。こうして、人生のことを考える年齢になって思うのは行動力とある程度の予定を受け入れることが後悔から遠ざかる方法なのだと気がついた。それでも私はまだ何もできていない。
私は父親が母親と結婚して10年目で生まれた子供である。そして彼の子供は私一人だ。大事にされているという自覚がある。さて、60年生きてきた彼の人生の中で私の20年間はどんな意味があることなのだろう。私は彼に何をしたのだろう。問うてみても何も思い浮かばないのだからどうしようもない。
2012/09/15
岩井俊二、本当にずるい
今日は、シネマライズで『スワロウテイル』を観てきました。
本当に、岩井俊二、ずるい
「何がどう」とか「誰がどう」とかそういうことは言えない。
共有したくないくらいの感想は私だけのもの。
それと、この映画を観たことだけが残ればそれでいいと思った。
私とあの子の記憶の中で特別な日になればいい。
それだけで嬉しい。
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